———ワサビ君って、テレビでの立ち回り見てても、あれ打って、これ打って、みたいにフラフラしないじゃない。なんらかの根拠があって、これだと思って座ったら、納得いくまでその1台を掘るよね。で、それって実は他の人との違いが際立ってて、他の人って割とあれかなこれかな、朝一の高確とか見て移ってみたりとかで、台を決めかねないまま割とフラフラしてる印象があるけど。
そうですね。数字が悪いんで見切ってやめますとか多いですけど、僕はほとんどそれがないんです。
———それってやっぱりジグマスタイルで培ったもんなのかな?
あと、フラフラして負けると自分のせいじゃないですか。だけど突っ張って負けたら店のせいにできる、店のせいにできるぐらいの立ち回りしないといけないってことです。この店でやります、ジャグラーのイベントでした、設定変更確認しました、それが設定3って言われたら、1から3にしか上げなかった店が悪いだけであって、俺は悪くないなって思うんで。普段通っている店、ここは設定使うなっていう店だったら、間違いなくそれは設定3じゃなく5か6な訳ですよ。
———あくまで自分のスタイルを貫くんだ。
そうそう。さっき両極端しか要らないって言った、いわゆる真ん中の人たちだと絶対できないことを見せるために、あえて突っ張ってる部分はありますね。ほんとはこうやって打つ、ほんとはこうやって勝つもんだってことを伝えたくてやってるっていうか。
———対メディアで、何か変わった部分ってある?
元々自分がパチスロ生活始めたぐらいには、なんか勝つことはいいみたいな、勝ち方教えてあげてみんな勝てるようになればいいじゃんみたいな、そんな感じだったんですけど、年取って変わってきた部分があって、なんかこんなことで、こんなに努力して、こんな程度しか稼げないんだったら遊びでやった方がいいよ、みたいなことを伝えられたらって思ってるんですよ、今は。それを説明するために、限界まで一生懸命やって、見てる人がここまでやんなきゃパチスロで勝てないんだったら、自分はいいやって思ってくれるような誌面作りを心がけるようになりました。そうなってからかれこれ5,6年になるんですけど。
———丁度5号機のタイミングだね。
立ち回りでは、とにかく走り回って、メールが届いてから家を出ると間に合わないからメールが来る時間に合わせて始発で山手線に乗って、山手線の中でメールを受信できるようにして。朝6台確定ってときに、家から行くと間に合わないんですよ。だけど、山手線に乗っていればどこにでも行けるから、タイミングにもよるんですけど、6時過ぎぐらいに山手線に乗って、そこでメール受信して、そのときに近い店に行くってことをやるようになって・・・。
———マジで!?なんか壮絶だね・・・。
そこまでやるんだったらいいよって思わせるように。
———5号機はここまでしないと喰えねぇんだぞっていう。
そこが一番変わったんですよ。勝たないといけない、勝つのが使命だから。みんなそこまでやらないじゃないですか。
———うん、やらんよ。
自分がそういうことやってるときに、スロプロ的なライターが「パチスロは簡単に勝てるよ」的なことを言うじゃないですか。ジャグラーでブドウ数えたり、夕方からレギュラーだけついてる台を打てば勝てるよっていうような、言い方悪いけど、そんな生っちょろい、そんなんじゃ勝てないですよ、正直言うと。そんな簡単じゃないんですよ。
———台の挙動、朝イチの高確とか小役の出現率とか重複率とか、いろいろチェックしなきゃいけない要素があると思うんだけど、ほんとにガチで喰っていくのって、実はそれ以外の部分が大事なんだよね。なんていうか嗅覚みたいなものしか、最終的にはあてにならないんじゃないかなって思うけど。それは自分が実際にパチプロをやってた中で、自分にはそういう能力は欠けてるんだけど、こいつ、ものすごく鼻が効くなって人をたくさんそばで見てて得た感覚なんだけど。なんていうか、シマの中の熱気とか雰囲気とか。言語化できないレベルで何かを感じられる能力みたいなね。そういうのを嗅ぎ分けられるかどうかが一番大切な才能だと思ってて、雑誌に書いてあることを覚えれば勝てる、プロでやれるというものではないと思うんだよね。で、そういうのって麻雀の強い人にも同じように感じるようなものがあるんだけど。
なんて言ったらいいか・・・俺が座ったから6なんでしょっていう感覚がある人しか掘れないんですね。僕も最近稼働が減ってて、さすがにそこまで思えないんですけど。でも、そういうふうに言い切れる人って周りにいるんですよ。結局、納得いくまで打ち切んないと、その台の設定いくつだったか分かんないじゃないですか。次の日に何も生きないし。フラフラしちゃうと、何も見えないままだから。だから、番組は点でしかやらないけど、やっぱり線で行かないといけないのは、パチンコもパチスロも一緒だと思うんです。番組だから、そのときの結果で負けたり勝ったりはいいんですけど、ほんとはこういうことを繰り返して、点じゃなくて線でやるんですよっていうのを伝えられればっていう。
健は山谷に来てから朝が早くなった。起きるとすぐに簡易食堂に行き、その足で麻雀荘に行ってしまう。
誰もまだ来ていない、ガランとした室内に牌を出し、ひろい(積み込み)の練習をはじめる。卓上に腕時計をおき、牌をかきまぜながらすばやく山を積む。秒という時間でこしらえるのである。
特定の牌をよって積むからといって、客よりずっと早くこしらえなければならない。客よりおそくては、好牌が無くなるし手つきの不自然さも見破られる。
全部裏返しにしておいて、モウ牌だけで積む。”ロッケン”といって小指と親指の間に六枚の牌をはさむ。六枚という数がどの積み込みにも重要な数なのである。いちいち数えているようではおそくなるから、すっと六枚はさめるように、指にその感覚を教えこまねばならない。すると、不自然な手の動きをずいぶんと無くすことができるのである。
こうして、数時間、汗を流す。このトレーニングは、バイニンならば一日も欠かせない。出目徳も、上州虎も、私も、この点に関しては勤勉である。我々は、この鍛錬によって、ひろいの腕も自信を植えつける。
アッと驚くような大技は、こういう糞度胸がないと成功しないのである。トレーニングをしばらくやらなかったところで、実際には手の動きは変らない。けれども練習充分に張りつめているときとちがって、どこか不安が生ずる。気持がいかさま業一本に定まらない。この逡巡が大きい。だからバイニンは、一日も怠けない。
いかさま業でなくても同じことである。勝負事の必勝法を問われたら、こう答えたい。自信をつけることであると。自信のない方が先にオリる。麻雀は、技術が同じなら、オリの早い方が負けである。
花口は、治療のときにはいつも、大内が妻に語りかけた言葉を必死で思いだしていた。
「愛している」という言葉だった。
「奥さんに語りかけていたころの大内さんを思い出しながらでないと、ひどくなった状態で寝ている大内さんを見ても、大内さんと思えなかったんです。思えないのがまたつらいので、一生懸命、笑いながら楽しそうに奥さんに「愛してるよ」と言ったころの大内さんを思い出そうとしたんです。「ああいうふうに一生懸命いろんなことを伝えようとしていた大内さんなんだよ」って思いながら、大内さんに接していたんです」
そう思いながらも、花口は考えずにはいられなかった。
「ここにいる人は何なんだろう。だれなんだろうではなく、何なんだろう。体がある、それもきれいな体ではなくて、ボロボロになった体がある。その体のまわりに機械が付いているだけ。自分たち看護婦は、その体を相手に、次からつぎに、その体を維持するために、乾きそうな角膜を維持するために、はげてきそうな皮膚を覆うために、そういう処置ばかりどんどんつづけなければならなかったんです。自分は一体何のためにやっているんだろう。自分は別に角膜を守りたいわけではない。大内さんを守るためにやってるんだ。
そう思わないと耐えられないケアばかりでした。大内さんを思い出しながらでないと、自分のやっていることの意味が見いだせないような、そんな毎日でした」
ハーバード・ビジネススクールでも重要だったのは、自分の情熱をとことんぶつけることだった。
ケーススタディでの発言。
論理的な考察や気の利いた意見は重宝されるが、教授が、クラスのみんなが一番聞きたいことは体重の乗ったパンチ、つまりその人の人生さえも載せている心の叫びだ。
そういった生で熱烈でむき出しの想いが解き放たれて共有されるから、ハーバードのケーススタディは生きもののように学生の心を揺さぶりその教えは根付いていく。冷徹なエリートなんかはいらない。試験勉強がうまいだけでは貢献できない。
実際ハーバードMBAに来ていた同級生たちの多くは、熱い熱い奴らが多かった。
ホッケーのオリンピックでカナダを優勝に導いたチームカナダのキャプテンは、学業からは程遠く、ハーバードMBAに来て初めてパソコンを触るというほど勉強だとかビジネスには無縁な男だったけれど、奴の命を削るような戦いの日々から学んださまざまなこと、そしてその真剣な言葉、生きざまには、クラス全員がいつも心を揺さぶられていた。
ロケット科学者よりIQの高い若いロシア人の金融工学の天才は、誰も考えつかないような発想と鋭い視点を持っていたけれど、結局奴の発言のすべてがとても優しく、1人の人間としての思いやりと、自分を等身大に見つける真摯さに満ちたもので、クラスに本当に大事なものは何かというさまざまな気づきを与えてくれていた。
イギリス人で元全英大学代表ラグビーチームのキャプテンは言葉少なで寡黙だったけれど、仲間のために誰よりも果敢に突っ込んでいく奴だった。ハーバードMBAのラグビーチームの試合中に指の骨を折ったときは、鎮痛剤を差し出すアメリカ人チームメートに「オマエらみたいにすぐに痛み止めを飲むような女みたいな人種じゃないんだよ」と笑ってテーピングだけ巻いて戦い続けた愛すべき英国人は、007のように「ぐちゃぐちゃ言っていないで行動するんだよ」という迫力にみなぎっていた。
生き馬の目を抜くような金融界で有名だったアメリカ人は、多国籍からなるクラスにアメリカ人としてさまざまな行事を提案・実行し、ダディーと呼ばれてクラスをまとめてくれる奴だった。ダディーの献身は、決してアメリカが傲慢で身勝手な国というわけではないことを身をもって感じさせてくれていたし、アメリカ式の「思いやり」を体現していた。
そして、僕の近くの席にずっと座っていたメキシコ人のカルロス。僕と同じように大して勉強や仕事ができたわけではないが、宴会を仕切ることに関してはラティーノの中で、いや西の世界をひっくるめても誰にも負けないエンターテイナー。いつも笑いを起こしていて「おいおい、そんなに真剣になるなよ」という人生の喜びや楽しみをまとって周りをなごましていた。
熱いこと、人に優しいこと、そして自分の挫折も弱みもさらけ出すこと。
それが素直に評価される場所だった。もがいても、真剣に、熱く、優しく生きていること。
懸命に生きてきた経験、自分の弱みや悩み、失敗談、それらをさらけ出し、他人と共有しそして一緒に学習していく。それが叶ったときケーススタディという授業は天を駆け巡る生き物のように真の力を発揮し、授業を超越する本当の学びが巻き起こるのである。
そんな場所だった。
| — | 「パンツを脱ぐ勇気」 児玉教仁 |
僕がつかんだアメリカや国際社会での生き方、それは、「パンツを脱ぐ」ということ。
当然、物理的にパンツを脱ぐということではない。
心にまとっているもの、自分を無意識に防御しているものをすべて脱いでとっぱらってしまうということだ。
自分の弱いところ、恥ずかしいところ、くだらないプライドをすべて脱ぎ捨てて、素の自分、自分の情熱を臆面もなくさらけ出してしまうということだ。結局、真実をさらし自分の価値観にのっとって生きているアメリカ人は、いい意味で日本の幼稚園児みたいなものだ。無垢の、自分の気持ちをべろんと出して生きている。
| — | 「パンツを脱ぐ勇気」 児玉教仁 |
「“勇気”・・・・・・」
その言葉を、コカキにも言われたことを想いだした。あの老人はこう言っていた——。
『君は何も知らないんだ、フーゴ君。君がわかっていると思っていることは、すべて表面的な、薄っぺらな浅知恵にすぎぬ——君は勇気を知らない。人が己を捨てて生きるときの力強さを、なにもわかっちゃいないのだ。勇気を知らないという点で君は、賢い人間の血を吸おうと噛みついて叩き潰されるノミにも等しい——』
その通りだと思った。自分はまだ、何も知らないのだ。その彼の表情を見て、ジョルノはうなづいた。
「それはおそらく、あらゆる人間に共通する人生の目的だ。自分にとっての勇気がなんなのか知ること——それを一生かかって探っていくのが、すべての人に科せられた宿命なんだ。それは扉のようなもので、自分で開けない限り、決して道とは気づけない——君は今、その扉の前に立っている。そこまでは辿り着いた。後は——君次第だ」
こうしたまとまりにくい条件のもとでも、岡田監督は代表選手たちに「Our Team」という意識を強く持ってほしいとあえて要求した。岡田監督はこの「Our Team」というチームコンセプトを説明する際に「村の祭り酒」という話を選手にした。
「ある村で、毎年、夏にお祭りをやっていた。祭りの始まりには、一升樽をぶち抜いてみんなで乾杯する。ところがある年のこと、飢餓がやってきてお祭りどころではなくなってしまった。こんな時こそお祭りをやって、気持ちを明るくしたいと思ったが、いかんせん景気づけの一升樽がない。
みんなが思案投げ首をしているところに、村の知恵者がこう言ったという。“みんなの家には、コップ1杯ぐらいの酒はまだあるだろう。それを持ち寄って、去年使った一升樽に入れて蓋をし直そうぜ。それをぶち抜いて乾杯すれば、祭りを始められるじゃないか”と。
この知恵者の提案にみんな賛同して家に帰り、各々コップ1杯の酒を持ち寄った。一升樽がいっぱいになったところで蓋をして、気合いを入れてぶち抜いた。めいめいコップに酒をつぎ、乾杯の音頭とともにぐいと飲んだその瞬間、どの人も怪訝な顔をしたという。さて何が起こったと思うか」
岡田監督は話を聴いている選手にこう問いかけた。
「まずかった」「臭かった」「薄かった」など、いろいろな答えが選手から返ってきたが、どれも正解ではない。答えは「水だった」。つまり、村人の誰もが「俺一人ぐらい水を持っていってもわかりはしまい」と考えた結果、一升樽は水でいっぱいになっていたのである。
「自分1人ぐらいはいいだろう」
この考えが組織を壊す。
W杯という大舞台で、とりたてて強力なストロングポイントを(世界基準で見ると)持たない日本が勝ち進んでいこうとすれば、チームの「団結力」は必要不可欠なのである。
雪山での自動車事故で足を負傷した人気小説家と彼を監禁した熱狂的なファンの中年女が駆け引きを繰り広げる『ミザリー』(一九九〇年・米)。キング原作映画の中では、これが僕のナンバー1です。
(中略)
『ミザリー』とはこの小説家の書くヒット作のタイトルですが、彼のファンを自称する中年女は最初、骨折した足を献身的かつ愛情たっぷりに看護しながら、足が治ったら小説家が出て行ってしまうだろうというので、一転してハンマーでまた足をへし折ってしまう。「そこまでやるか!」という驚愕の展開です。あれ以上イッてしまっている女性は、ホラー映画だけでなく全映画史上においても他に存在するとは思えません。
でも中年女にそこまでやらせるのがキングの人気小説家たるゆえんというか、読者が「次の展開はこうだろう」と予測できてしまうようでは作家としてダメです。「この作者は次に何をやるかわからない」という次元で読者を期待させたうえで見事にその期待に応えて驚かせ、その驚きを恐怖につなげていく。主人公に対しての、その凄まじいまでの容赦のなさ。観客にしても、主人公でさえ容赦なく扱われることがわかれば、「どうやって逃げるんだろう?」と本当に恐怖の底に突き落とされるわけです。その家に助けに来た老保安官も女にあっさり殺されてしまって、無駄死にというか、殺されるためだけに出てきたというのも凄惨すぎます。
ワールドカップの後、阿部はイングランドのクラブに移籍した。ジェフからレッズへの移籍に続き、生涯で2度目の移籍だ。レッズに移籍するときも、自分の人生をステップアップするために挑戦しろ、チャレンジが大事だと背中を押した。ヨーロッパへの移籍はそれよりももっと大きなチャレンジだが、なにも怖がることはない。
(中略)
もう迷っている時期は過ぎた。といって老け込むにはまだまだ早すぎる。もう何度かチャレンジするチャンスが来るだろう。そのための準備をいまからでもしておいたらいい。
それに、ヨーロッパにいるのだから、時間があったらオーストリアでもボスニアにでも、ちょっと遊びに来るというのも、悪くないアイデアではないか。
阿部よ、我が家のドアは、いつでも開いている。
| — | 「泣いた日」 阿部勇樹 |
努力するのは自分であり、それを結果として評価するのは他人である。
言葉にすると至って当たり前だが、このことをわかっていない人がとても多い。
ここで「努力」という言葉を、僕なりに定義し直すと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言える。一般的に言う「努力」など、その名に値しない。人が足元にもおよばないほど行った凄まじい努力が、僕の言う「努力」である。
二十代の頃、僕はずっと憧れていた石原慎太郎さんと、仕事をしたかった。すでに石原さんは、大作家だったし、勢いのある政治家だった。生半可なことでは、仕事をしてくれないだろうと思い、僕は、学生時代、繰り返し読んだ『太陽の季節』と『処刑の部屋』の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗唱した。石原さんは、「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と言って苦笑した。
圧倒的努力は、いつか必ず実を結ぶ。
幻冬舎が出来たばかりの頃、雑居ビルに石原さんがやって来て、
「もしも、まだ俺が君の役に立つなら、何でもやるぞ」
と言ってくれた。その時の石原さんの表情は今も目に焼き付いている。そうやって、大ミリオンセラー『弟』は誕生した。最初の出会いから二十年が経っていた。
しかし、大変な努力をしても、そのことを知っているのは自分しかいない。結果を評価するのは、上司や取引先や世間である。つまり努力する側とそれを受け止める側は、何ら共通認識のない、まったく別の主体なのだ。両者の間には、どうすることもできない、絶望的な溝がある。