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打ち方にこだわらければ、誰にだって勝つことができるのが麻雀だ。
ただ、プロとして、王道の麻雀を打つのか、姑息でも勝ちにこだわった麻雀を打つのか、それを考えているかどうかで大きく変わってくる。
博打ならともかく、競技麻雀に後者はまったく意味がないと思っている。
最近の麻雀プロは、そんなおもしろくもなんともない麻雀を打つ者ばかりなので、俺は危機感を感じている。
「つまらない手を和了るぐらいなら、和了ないほうがいい」
俺は常々、後輩たちにこう言い続けてきた。
しかし、その本当の意味を理解し、実戦し、自分をコントロールできているような打ち手に育ってほしい。
多くの打ち手が、他家に先に和了られることを怖れ、倍満の手を満貫に、満貫の手を三九〇〇点に落としてでも和了りを拾おうとする。
その姿は、俺からすれば醜悪以外の何物でもない。“麻雀の美”の精神から大きく逸脱した行為である。
いまの俺は、なによりも「麻雀美学」を尊重している。
そう麻雀には”美”があるのだ。
どういう形で自分の麻雀を「昇華」させるか、常に意識して打つ。
もちろん”美”を求めるとテンパイが遅れ、和了りを逃すこともある。
だが、それで構わない。和了ることだけ、勝つことだけを考えていては、ファンはついてこない。
どんな競技でも、プロであるなら、ファンに感動を与えなければいけない。
彼らは胸を弾ませながら、我々の一打一打を楽しみに観戦しているのだ。
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