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努力するのは自分であり、それを結果として評価するのは他人である。
言葉にすると至って当たり前だが、このことをわかっていない人がとても多い。
ここで「努力」という言葉を、僕なりに定義し直すと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言える。一般的に言う「努力」など、その名に値しない。人が足元にもおよばないほど行った凄まじい努力が、僕の言う「努力」である。
二十代の頃、僕はずっと憧れていた石原慎太郎さんと、仕事をしたかった。すでに石原さんは、大作家だったし、勢いのある政治家だった。生半可なことでは、仕事をしてくれないだろうと思い、僕は、学生時代、繰り返し読んだ『太陽の季節』と『処刑の部屋』の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗唱した。石原さんは、「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と言って苦笑した。
圧倒的努力は、いつか必ず実を結ぶ。
幻冬舎が出来たばかりの頃、雑居ビルに石原さんがやって来て、
「もしも、まだ俺が君の役に立つなら、何でもやるぞ」
と言ってくれた。その時の石原さんの表情は今も目に焼き付いている。そうやって、大ミリオンセラー『弟』は誕生した。最初の出会いから二十年が経っていた。
しかし、大変な努力をしても、そのことを知っているのは自分しかいない。結果を評価するのは、上司や取引先や世間である。つまり努力する側とそれを受け止める側は、何ら共通認識のない、まったく別の主体なのだ。両者の間には、どうすることもできない、絶望的な溝がある。
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